増元照明氏講演会 九州大学 平成14年12月5日
   
  私の父も10月17日になくなりましたが、亡くなる一週間、10月の11日でしたか、延命措置をするため挿管したんですが、その挿管する、それが午後2時でした、その午前中、私に対して言いました。それまでそんなことを言ったことのない父でしたが、なぜか突然でした。「北朝鮮には負けん。俺は日本を信じる。お前もだから信じろ」日本を信じられなくなった、なっていた私にそういう強い口調で言いました。まだ親父も日本という国を信じたかったんだと思います。ぜひ、皆さんにもその親父の思いを受け止めていただきたいと思います。
     
   
     

 

拉致被害者家族訪米直前講演会 主催:NRSP 平成15年4月
   
  これから皆さんの声がなくなれば、必ず日朝国交正常化交渉に突き進む政治家、外務省のお役人が出てきます。そうなった場合、我々の家族、8人死亡とされましたが、それ以外にもいる拉致被害者、彼らの命がなくなってしまいます。北朝鮮という厳寒の地で、彼らは日本の国の救助を待っています。その時に日本の国民に見捨てられたら、彼らはどういう哀しい思いをするか。お願いです。そろそろ皆さん、声を挙げて北朝鮮に対して「返せ」という言葉を言っていただけませんでしょうか。その力強い言葉が一つになって北朝鮮に届けば、必ずや日本の国が動きます。
     
   
     

 

「山谷えり子、北朝鮮拉致被害者を救う会」での挨拶 平成15年10月23日
   
  我々、拉致問題から二十数年間、放っておかれたのは国会議員の方たちが、この拉致問題を取り上げても、外交問題をやっても票にならない、と考えられたからなんです。違うんだ、今、この拉致問題を真剣に取り組んで、拉致被害者を取り戻す、そういう毅然としたことをやらないと日本の国民は、あなたを国会議員として認めませんよ、票も入れませんよ。そのために拉致議連の先生方にはぶっちぎりで勝っていただきたい。それが国民の意思だということを国会議員の先生たちがわかれば、自分たちもやらざるを得なくなります。そういう風に私は考えています。
     
   
     

 

渋谷駅頭緊急アピールでの挨拶 平成16年5月16日
   
  今、圧力をかけずにただ対話ですべてを取り戻そうとしている外務省、そして政府の責任者、そこに私はすごい粗さを感じるし、その粗さが我々にはすごい怖さを、不安をもたらします。ここは国民の皆さんに、必ず22日に、最低限5人の家族8人、政府専用機で連れ戻してくる、そのくらいのことが出来なければ、今回の小泉訪朝は失敗なんだという声を皆さん、行くまであげてください。そしてプレッシャーをかけてください。そうすることによって小泉さんが、我々国民の気持ちを汲むかどうか、22日に皆さん、これを注視してください。そして我々家族を取り戻すために、そして皆さんの同胞、日本人を取り戻すために、そしてこれからの日本人が被害を受けないために、日本という国が国であるために、皆さん、声をあげていってください。
     
   
     

 

26年間を通して感じたこと  戦略情報研究所講演会 平成16年6月4日
   
   この森さんのパフォーマンスを絶対壊さなければいけない、そういうふうに私は感じて、カメラの放列・・その時何かをやって森さんのパフォーマンスを崩そう、そういうふうに考えて土下座をしたんです。で、土下座をしながら「とにかく正常化を先にやられると、私たちの家族が殺されてしまいますので、正常化を先に行なうようなことはやめてください!」ということを申し上げました。
 それで多少慌てたようで、それから家族は思い思いの言葉を発して、ようやくこの「正常化と拉致問題の解決」これは同時進行、どちらが先になるかはわからないけれども「正常化交渉」の中で最終的にやると、そういう形質をとって「拉致問題」の棚上げを防ぐことができました。
     
   
     

 

「増元照明さんを支援する集会」での挨拶 平成16年6月19日
   
  横田めぐみちゃんは生きています。田口八重子さんも生きています。有本恵子さんも生きています。私の姉・増元るみ子も生きています。市川修一さんも生きています。原敕晁さんも生きています。松木薫さんも生きています。(涙で言葉に詰まる・会場からガンバレの声) 石岡亨さんも生きています。久米裕さんも生きています。そして曽我ミヨシさんも生きています。
     
   
     

 

父、増元昭一さんの闘いと死  2002年10月26日 ニュースステーション
   
    
     
   
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増元照明さん新年の誓い  2003年1月6日 ワイドスクランブル
   
    
     
   
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9.17 記者会見(生放送時以外では二度と放送されなかった)
   
  我々拉致家族の分断のために、こういう発表をした。そういう風にもとれる。と思います。また、もし、これが事実であるとすれば、いままでこの問題を無視し続けた国会議員の方々、社民党、共産党の方々、何か我々に言うことがあったら連絡下さい。
     
   
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「公明党は学会員拉致被害者を見捨てた!」  週刊文春平成14年11月28日号
   
 

 「家族連絡会の事務局を名乗り、姉が学会員であることもきちんと書いて、拉致問題に対する公明党の対応を教えてほしいとしたためたのです。しかし、党からは『メールありがとうございました。ご意見は検討させていただきます』という、定型の挨拶文が返ってきただけでした。」
 照明氏はまた、外務省出身の山本香苗参議院議員にもメールを送ったが、こっちは返事すらこなかったという。

 「九月十七日、八人死亡を伝えられたとき、私は会見で『社民党、共産党の方々、我々に言うことがあったら連絡してほしい』と言いました。あの時は、公明党議員の姿が目に入って言えなかったんですが、本当は公明党にも同じことを言おうと思っていました。私たちの望むものは、中傷や弁明のための百万言ではなく、解決のための率先した一つの行動なのです。」

     
   
     

 

「何もしてくれなかった現実」 週刊SPA2002/10/15
   
 

無視され、かわされ、逃げられ、
何もしてくれなかった現実

「以前、社民党なら北朝鮮とのパイプもあるからと、期待し、支持もしていたんです。ところが、拉致事件を取り上げてくれと、誰にメールを出してもなしのつぶて」
 怒りを抑えながら、そう語るのは、姉・るみ子さんを拉致された増元照明さんだ。メールの内訳は、土井たか子氏4通、福島瑞穂氏と辻元清美氏に2通ずつ。他の議員にもメールを出したが、誰からも返事が来なかったという。
「数か月後、議員会館のエレベーターホールでバッタリ土井さんを見かけたんです。そこで『先日メールをお送りした増元ですが』と話しかけると、土井さんは支援者と勘違いしたのか、ニコニコして、『ありがとう』と握手を求めてきたんです」
 ところが、増元さんが拉致被害者の家族だと告げた途端、土井氏の態度は一変。笑顔は消え、無言に。エレベーターが来るとすぐに乗り込み、姿を消してしまったという。

     
   
     

 

「幕引きはさせない」 AERA2004/7/5号
   
 

2歳年上の姉るみ子さん(当時24歳)は1978年8月、郷里の鹿児島県の浜辺から市川修一さん(当時23歳)とともに北朝鮮工作員により拉致された。家族会の一員として救出運動に取組んできた父は、一昨年9月に金総書記が拉致を認めたその翌月、「俺は日本を信じる。だからお前も日本を信じろ」との言葉を言い残して病気で他界した。生存が確認された被害者5人が日本の土を踏んだ2日後のことだった。
この3月、悩んだ末に、24年間勤めた水産卸売会社を退職した。この出馬について、家族会の一部に慎重論があったのも事実だ。
「姉の安否は北朝鮮により死亡と発表されたまま膠着状態が続いている。その一方で会社の仕事もある。姉を取り返すにはどうしたらいいのか。悩んでいる中で、目の前に参院選があった。その時、運命みたいなものを感じてしまったんですね」

     
   
     

 

 

 

このページは、電脳補完録の勝手な制作です。増元照明さんとは全くの無関係であることを予めご了承下さい。